1回読んでとてもいい本だと思ったので勝手に興味深いところをまとめ直しながら要約しました。気になった方は買って損はないと思います。
1 戦場で何が起きているのか
1.1 例
『一八七六年六月一六日、ローズバッド·クリークで、クルック将軍率いる部隊は二万五〇〇〇発の銃弾を費やしたが、インディアンの死傷者は九九人、つまり命中率は二五二分の一だった。また、一八七〇年のヴイッセンブルクの戦いのとき、フランス軍は要塞化した陣地を防衛するため、開けた戦場を進撃してくるドイツ軍に発砲したが、四万八〇〇〇発を費やして倒したドイツ兵は四〇四名だった。つまり命中率は一一九分の一である(しかも、死傷者の一部、というよりおそらく大多数は、砲撃によるものなのはちがいない。それから考えると、フランス軍の命中率は驚くべき低さということになる)。(中略)
この傾向はベトナムの銃撃戦でも見られる。敵ひとりを殺すのに五万発以上の銃弾が費やされたのである。ベトナムで海兵隊第1師団の衛生兵だったダグラス·グレアムは、敵味方の銃弾をかいくぐって負傷兵の救援に向かったというが、「誰にも当たらない無駄弾丸があんなに多いとは驚いた」と語っている。』
『パディ·グリフィスの「南北戦争の戦術」からの引用である。(中略)
声はすれども姿は見えず、大声で叫んでいれば中隊でも連隊のふりができた。のちに聞いた話では、両軍のさまざまな部隊が「大声に怯えて」持ち場から逃げ出していたという 。』
『S.L.A.マーシェル将軍は、第二次世界大戦の米軍兵士のうち発砲した者は十五ないし二十パーセントだったと結論した。』
どうして戦場において多くの兵士はこのような行動をとるのだろうか。それを考えるために、グロスマンは闘争、逃避、威嚇、降伏という4つの行動によるモデルを戦場に当てはめている。闘争イコール人殺しはしたくなく、仲間や上官の目があるために逃避という手段もとれない。そのため、相手に当たらないように発砲することで威嚇し、あるいは発砲せず味方の手助けや連絡などをすることで実質的に相手に降伏するという選択肢をとるのだ。
このような選択を迫られる戦場の兵士にかかる心理的負担は想像を絶するものだろう。グロスマンはこう語る。
『自分と同種の生物を目の前で殺すことへの抵抗感はきわめて大きい。自己保存本能、上官の強制力、仲間の期待、戦友の生命を守る義務、これが束になってなお克服できないこともめずらしくない。
戦闘中の兵士は悲劇的なジレンマにとらわれている。殺人への抵抗感を克服して敵の兵士を接近戦で殺せば、死ぬまで血の罪悪感を背負いこむことになり、殺さないことを選択すれば、倒された戦友の血への罪悪感、そして自分の務め、国家、大義に背いた恥辱が重くのしかかってくる。まさに退くも地獄、進むも地獄である。』
1.2 抵抗感に関わる要因
次に、人を殺す際に兵士が感じる負担を変化させる要因について説明する。グロスマンは標的との心理的、物理的距離や、集団免責などを挙げている。一つずつ見ていく。
1.2.1 心理的距離
相手を自分たちと近い存在である、と認識している時と遠い存在であると認識している時では相手を殺す際に感じる罪悪感は異なる。具体的に、人種や民族の違い(敵をジャップ[1]、クラウト[2]などの名で呼ぶのはこれを強調するためである)、悪を倒すという構図(真珠湾攻撃後のアメリカなど)、社会的距離(貴族vs農民など)、機械の介在(暗視装置など)などがあるとき、人は他者を遠い存在であると感じ、殺すのに感じる抵抗感が薄れるのだ。
1.2.2 物理的距離
相手と自分との距離が遠くなればなるほど殺す際の抵抗感は薄れる。目の前の敵を一人殺すよりも戦闘機で上空から爆弾を落とす方が抵抗を感じにくいのだ。
1.2.3 集団免責
戦車や大砲などのように、複数人で一組となって相手に攻撃する場合、罪悪感が分散されるため、より殺人の抵抗を感じにくい。
2 条件付け
2.1 条件付けとは
ここでの条件付け(conditioning)とは、第二次大戦後アメリカで行われた訓練のひとつである。具体的にはこうだ。現実の戦場になるべく近い環境でサッと飛び出る人型の人形をとらえる訓練をし、成功すると報酬が与えられ正のフィードバックが得られる。ただし、上司の命令のないタイミングで発砲すればペナルティが与えられる。これを反復することでほぼ(あるいは完全に)無意識のうちに現実の戦場において標的をとらえることができる、というものだ。
2.2 結果
第二次大戦時に『十五ないし二十パーセントだった』発砲率はベトナム戦争においては驚くことに『九〇から九五パーセントにも昇った』という。
2.3 現在の社会と条件付け
現代社会にあふれる様々な暴力的な映画やゲームによって、人々は知らず知らずのうちに条件付けされてはいないだろうか、とグロスマンは危惧する。ポップコーンを食べながら友人と暴力的な映画を見たりすることで、快楽というプラスな感情と映像内の暴力とが結びついたり、さらに権威者による命令にかかわらず現実と近いゲームで人を殺すことで、制止のきかない殺人者が生まれたりしないか、と危惧しているのである。また、グロスマンは「十三日の金曜日」のジェイソンなどのサディスティックな殺人者を子供が大量に見ることで子供が彼らをモデルとして学習してしまわないか、とも心配している。
3 まとめ
これまで戦場で兵士が何によって何を感じ、どう行動するのか、を見てきたが、私は兵士が自分や仲間の命をかけてでも相手を殺したくないと感じているところに希望を見いだしたい。戦場で敵同士という極端な関係においても人間は人間を大切にしてしまうならば、平和な状況でどうして友好的な関係が結べないはずがあろうか。
昨今、自国中心主義的な政権が世界中で権力を握っているが、彼らの主張のほとんどは1.2で見たような、自分たちとそれ以外は遠い存在で、自分たちがそんな奴らのために不利益をこうむる必要などないだろう、というものだ。政治の判断に抗うことなんて結局できない、という意見も確かに正しいのだろう。それでも私は人々が人種や国籍など様々な「違い」を超えて相手を同じ人間と認識することが争いを減らすことになると信じている。最後に、一番好きなエピソードを引用してしめくくろうと思う。
『第二次大戦にドイツ兵として従軍したヘンリー·メテルマンが、ロシア戦線での自分の体験をつづったものである。
戦闘が小康状態に入ったとき、ふたりのロシア人がタコツボ[3]を出て、メテルマンのほうへ近づいてきた。私はふたりに歩み寄った。……ふたりは自己紹介をして……煙草を一本差し出した。私は煙草は吸わないが、せっかく勧めてくれたのに断るのは悪いと思った。だがひどいしろものだった。私は咳き込み、あとで仲間に「ロシア人ふたりといっしょに突っ立って、頭が吹っ飛ぶほど咳をして、そりゃあいい印象を与えただろうよ」と言われたものだ。……ふたりと話をして、こっちのタコツボに来てもいいと私は言った。そのなかでロシア兵が三人死んでいたからだ。申し訳ないことだが、私が殺したのである。(中略)……私はちょっと手を貸してやって、三人でかがみこんで、その給与手帳の一冊に写真が何枚かはさんであるのを見つけた。ふたりはそれを私に見せてくれた。三人でそこに突っ立って、写真を眺めた。……最後にもういちど握手をした。ひとりは私の背中をぽんと叩いて引き上げていった。(中略)(仲間からふたりのロシア兵が死んだと聞いて)私はひどく悲しかった。人間と人間、同志と同志として会って話をしたのに。かれらは私を同志と呼んだものだった。奇妙に聞こえるかもしれないが、この狂った戦闘で死なねばならなかったかれらのことが,あのときは味方の死よりも悲しかった。いまでも思い出すと悲しくなる。』
4 参考文献